Vol.25
先日、映画『ルックバック』を観ました。
原作は、『チェンソーマン』の作者、藤本タツキさんのコミックスです。
その後、アニメーション映画が公開され、現在は是枝裕和監督による実写版が公開されています。
どれも素晴らしい作品ですが、実写版では、秋田の美しい自然の移り変わりとともに、藤野と京本、二人の出会いから友情、そして成長が描かれています。
性格も、生活環境も対照的な二人です。
けれど、二人にはマンガへの愛と、描くことへの情熱という共通するものがありました。
二人がまだ直接会ったこともない頃から、その間には、それぞれが描いた4コマ漫画がありました。
印象に残っている場面があります。
藤野が京本の家に小学校の卒業証書を届けたときのことです。
思わぬ出来事に慌てて帰ろうとする藤野を、それまで家に引きこもっていた京本が追いかけてきます。
「藤野先生!」「わたし、藤野先生のファンです。」
アニメーションでも実写版でも、強く印象に残った場面です。
京本は、藤野のマンガが好きだった。
そして、その作品を生み出した藤野に憧れていた。
そこにあるのは、相手へのまっすぐな「リスペクト」なのだと思います。
一方の藤野も、京本の画力に衝撃を受け、その存在に刺激されながら絵を描き続けます。
やがて二人は一緒にマンガを描くようになります。
作品を通して相手を知り、その力を認める。
そして、それが人と人とのつながりになっていく。
『ルックバック』を観て、改めて「リスペクト」という言葉について考えました。
そんなとき、新聞で、AIと「声」をめぐる記事を読みました。
いま、AIによって、人の声をかなり精巧に再現できるようになっています。
記事の中で、声優の佐々木優子さんは、声は単なる素材ではなく、長い時間をかけて役作りをし、スタッフとともにつくり上げてきたものだと語っています。
そして、自分の声をAIに利用するのであれば、どのように使うのかを示し、許可を得てほしいと訴えています。
声も、絵も、文章も、作品として私たちの前に現れたとき、その向こう側には、それを生み出した人がいます。
費やした時間があり、積み重ねてきたものがあります。
AIによって、さまざまなものを生み出すことができる時代になりました。
だからこそ、作品だけを見るのではなく、その作品を生み出した人の存在を想像することも大切なのだと思います。
ちょうど今、中学生の探究学習「KASEIセミナー」で、私は「未来社会とデジタル」というテーマを担当しています。
生徒たちが立てている問いの中にも、AIとイラストレーターの仕事、画像生成AIによる作風の模倣など、AIと創作する人との関係を考えようとするものがあります。
答えは、簡単には出ません。
技術はこれからも進んでいくでしょう。
そして、私たちはその技術を使いながら生きていくことになります。
そのとき、作品の向こう側にいる人に、目を向けていたいと思います。
校長 荒籾 和成
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